この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

第40回 ごく自然体で、最先端の遺伝子制御機構の研究分野を切り拓く 東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻 塩見 美喜子 教授

Profile

塩見 美喜子(しおみ・みきこ)
愛知県生まれ。1984年岐阜大学農学部農芸化学科卒業。88年京都大学大学院農学研究科修士課程修了。90年ペンシルバニア大学ハワードヒューズ医学研究所Gideon Dreyfuss博士の研究室で研究補佐。94年博士号を取得し、同研究所研究員。2000年に帰国、徳島大学ゲノム機能研究センター講師に就任。同センター助教授、准教授を経て、2008年慶應義塾大学医学部准教授。2012年より現職。2009年「RNAサイレンシング作用機序の研究」で第29回猿橋賞受賞。

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自然科学の分野で顕著な研究業績を収めた女性研究者に贈られる猿橋賞を2009年に受賞、東京大学大学院でラボを率い、国内外の多くの研究者が注目している細胞の運命決定に関係する「RNAサイレンシング」の最先端の研究を切り拓いている塩見先生。高校時代から研究者をめざして勉強一筋だったのではと思う人もいるかもしれないが、「世の中ってけっこうフレキシブルなもの、18歳で将来を決め込む必要はないかも」とにこやかに話す。パートナーが留学することになったとき、大学院での研究生活を休止して、一緒に海外生活を楽しもうとアメリカに渡ったところ、同じラボのスタッフとして雇われたことが現在の研究テーマに結びつくことになったとか。さて、先生の歩んできた道は──?

「何かになりたい」という強いモチベーションはなかった

───どこで子ども時代を過ごしたのですか。
小学生時代。妹さんを抱いて

小学生時代。妹さんを抱いて

名古屋市で生まれました。小さいころはまわりに同級の男の子が多かったこともあって、草野球をしたり、小さな山を駆け回ったり、自転車を漕いだり、外遊びが好きでしたね。そうそう、小学生のころローラースケートが流行ったことがあって、小学校のロータリーなどで滑っていたのを思い出しました。楽しかったのは、町内会のポートボール。グループに分かれて夢中でやったことを覚えています。

───小・中学生のころ好きだった科目はありましたか。

算数や理科が好きでした。文系の科目は答えが出にくいけれど、算数や理科だと式を解いていけば答えが出る。それが私には合っていたようです。

───クラブ活動には所属していましたか。

中学生のとき体操部に入っていました。ところが、あるときバスを降りた際にバイクにぶつけられ、足を傷めてしまった。何か月か練習を休んでしまい、そのまま退部しちゃいました。学級委員などをやっていましたが、小中高校生活を通じて、「これをどうしてもやりたい」ということがなかった。ごく平凡な生徒でしたね。

───高校入試はいかがでしたか。

当時の愛知県の公立高校の入試システムはちょっと変わった学校群制度で、名古屋市の県立・市立の15高校の2校ずつがペアとなり、1群から15群までに分かれていました。受験生はそのうち一つの学校群を選んで受験するのですが、どちらの高校に入学するかは自分では選べないのです。私は中村高校と明和高校がペアを組んだ6群を受験し、希望通り、県内有数の進学校である県立明和高校に進学できました。自由な雰囲気がある伝統校で、2008年にノーベル賞を受賞した物理学者の小林誠先生もこの学校の卒業生です。
ちなみに明和高校は、2011年から2015年まで、文部科学省が理数教育のモデル校として選定する「スーパーサイエンスハイスクール(SSH)」の指定校となっていて、私もアドバイザーを務めていました。夏になると毎年30~40人の後輩がやってきて、半日かけて実験を体験するという取り組みのお手伝いもしました。

───伝統校では学園祭など力を入れていることが多いものですが、高校生活で思い出はありますか。

クラスで劇をやりました。衣裳を自分たちがつくって、私は主役でドレスを縫ったんですが、何の劇だったかなぁ。クラブ活動では読書部に入りました。放課後に図書館に行って本を読むんです。でも変な読書部で、みんなで集まって批評しあったりするわけではなく、勝手に本を読んで勝手に帰る・・・(笑)。

───高校になっても理数系の科目が好きだったのですか。

ええ。とくに、数学、物理、化学などは、式があってそれに当てはめていくと答えが出てくる。その答え以外は間違い、一目瞭然で、スッキリするというか・・・。同じ理科でも、生物や地学はそれほど好きではありませんでした。
いずれにせよ理系か文系のどちらを選ぶかという迷いはなかったですね。けれども、では理系のどんな分野に進みたいかというと、そういうところまで考えていなかった。何かになりたいという強い思い、モチベーションがなかったんです。教育学部の数学科を出て高校で教えるのもいいと思ったし、工学部や農学部、理学部にも魅力を感じました。
そんなわけで、自分の成績や偏差値と照らし合わせて、合格できる大学の理系の学部に進もうと思い、先生と相談して岐阜大学の農学部を選びました。両親からは、大学は自宅から通えるところという条件が出されていたので、名古屋から岐阜まで片道1時間半かけて通学しました。

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