この人に聞く「生命に関わる仕事っておもしろいですか?」

第28回 中高校生の時に抱いたナイーブな疑問をいつまでも大切にしてほしい。東京大学 医学系研究科 機能生物学専攻 システム薬理学教室 教授 理化学研究所QBiC合成生物学研究グループ グループリーダー 上田泰己

Profile

上田泰己(うえだ・ひろき)
1975年福岡生まれ。2000年東京大学医学部医学科卒業。在学中の1997年よりソニーコンピュータサイエンス研究所研究アシスタント、98年ERATO北野プロジェクト研究アシスタント。その後山之内製薬の契約社員として研究を続けながら、大学院に社会人入学の形で進学し、2004年院医学系研究科博士課程修了。大学院在学中の2003年理化学研究所 システムバイオロジー研究チームリーダーに就任。2009年、同研究所プロジェクトリーダー、2011年 同研究所 グループディレクター。その間、東北大学、徳島大学、大阪大学、京都大学などの客員教授なども兼務。2013年10月より東京大学医学系研究科機能生物学専攻システム薬理学教室教授。専門はシステム生物学・合成生物学で、概日時計などをテーマに生命システムの「時間」の解明に取り組む。

profile
中学・高校時代、サッカーに夢中になっていた少年は、大学で医学部に入ると生命科学の研究に没頭する毎日を過ごすようになる。大学院在学中に理化学研究所でチームリーダーのポストを得、からだの1日のリズムを司る概日時計のメカニズムを次々に解明し注目を浴びる。そんな上田先生の現在の研究生活を支えているのは、中高生時代に抱いた「生命とは何か」という問いであるという。

サッカー漬けの毎日。ケガをしてもやめなかった

───どんな子ども時代を過ごしたのでしょう。

生まれたのは福岡市です。日本史に出てくる漢委奴国王印(金印)が出てきた志賀島の根もとあたり、福岡の繁華街の天神まで車で30分くらいの東区千早という町で育ちました。当時、福岡市が湾岸部を埋め立ててベッドタウン化を進めており、私の家はその団地にありました。
埋め立て地でしたから人工的な空間でしたが、ザリガニ釣りなどができる場所もあり、小さいころは外で遊ぶことが多かったですね。水泳、ピアノ、絵画などいろいろな習い事をしていましたが、小学校に上がってからはサッカー漬けの毎日になりました。

2歳のころ(右は妹さん)

2歳のころ(右は妹さん)

保育園の運動会で

保育園の運動会で

───サッカーの面白さはどんなところにあったのですか。

サッカーという球技は、いろいろなポジションに専門性がありながら、みんなと一緒にプレーができる点が魅力でした。高学年の人とコミュニケーションをとれるのも楽しかったですね。ポジションは、前線と守備の中間のMFです。
中学、高校とサッカーを続けていましたが、中学2年、高校の2年の時、それぞれ左足、右足の半月板を傷めるケガをしてしまいました。もちろん、それでもサッカーを辞めようとは思いませんでした。

小学校時代 サッカー練習中(右から2人目)

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小学校時代 サッカー練習中(右から2人目)

中学サッカー部(前列右から2人目)

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中学サッカー部(前列右から2人目)

───勉強では好きな科目がありましたか。

サッカーに夢中でしたから、あまり勉強した記憶はないなあ(笑)。勉強は全般的に嫌いではなかったけれど、覚えることが多い社会科は、どうも苦手でしたね。
保育園のころの話に戻りますが、イモ掘り遠足をする機会があって、それが子ども心にもよほど楽しかったんでしょう、保育園に帰ってきてから、イモが植えられてもいないのに、保育園の庭の土を片っ端から掘り返したんだそうです。保育園の先生が「何をしているの?」と聞いてみると、「イモを掘っているんだ」(笑)。何もないところから何かを創り出すことに興味があったのだと思います。
特に好きだったのは数学でした。ただ問題を解くというだけでなく、その数学の奥にあるものを腑に落ちるまで考えました。英語は通っていた塾にすごく良い先生がいて、英語を論理的に考える面白さを教えていただいた記憶があります。

中学校時代 生徒会選挙

中学校時代 生徒会選挙

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