フクロウ博士の森の教室「からだを復元させる医療の話」

第6回 難病ALSの解明と治療に挑む 東北大学大学院医学系研究科 神経内科学分野  青木正志教授インタビュー 若い人たちにALSの根本的な治療・研究にチャレンジしてほしい。

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青木正志(あおき・まさし)
1990年東北大学医学部医学科卒業。医学博士。1994年東北大学医学部附属病院神経内科医員。1996年4月米国ハーバード大学医学部マサチューセッツ総合病院神経内科研究員。1998年9月東北大学医学部神経内科助手。2007年6月同講師。2011年2月より現職。専門は難治性神経疾患、とくにALSに対する根本的治療法の開発とその臨床応用。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、脳や末梢神経からの命令を筋肉に伝える運動ニューロンがダメージを受け、筋肉の萎縮と筋力の低下が進み、発症後2年から5年で呼吸筋がマヒしてしまうなど、極めて重篤な症状を引き起こす難病だ。青木先生はALSの研究と臨床に一貫して携わってきた。ALSはその原因もいまだ根本的に明らかにされておらず、神経科学の領域でも最も研究の進展が望まれている分野だ。若い人に、ALS解明のための研究、医療にチャレンジして患者さんを救ってほしいと青木先生は熱い思いで呼びかけている。

ALSの臨床医を志す

───青木先生がALSの研究者・臨床医になったきっかけについてお聞かせください。

私が医師になったのは、今から約25年前、1990年のことです。神経内科を選んだのは、その当時からALSは治療法もない難病で、手が付けられない病気であると言われていて、そうした難病で苦しんでいる患者さんを何とかしてあげたいという思いからでした。

───その当時のALSの研究はどのようなものだったのですか。

私が東北大学大学院でALSの研究を始めたときの指導教授は、現在、岡山大学神経内科の教授をしておられる阿部康二先生でした。阿部先生はアメリカで遺伝学を学び、アルツハイマー病の原因遺伝子の研究に従事されたのですが、1989年に東北大学に帰ってくると、その遺伝子解析の手法をALSのような難病の解明に応用したいと考えたのです。

───それ以前は、ALSについてどんな研究が行われていたのですか。

ALSで亡くなった患者さんの脳や脊髄を提供していただき、脳や脊髄にどんな変化が起きているのか、病理学的に研究していました。けれどもそうした研究で分かるのは、患者さんの脳の神経細胞が確かに欠落しているということだけで、なぜ欠落したのかは分からない。医師や研究者の間では、ALSは何の証拠も残さない“完全犯罪”だといわれたものです。いわば、犯人を捕まえるための手がかりがまったくない、最も悪質な犯罪といえるでしょう。
ただ当時からALSには家族性のものがあることは分かっていたので、遺伝子解析からアプローチすればその原因が分かるかもしれない。遺伝子からの探究は完全犯罪を突き崩すカギになるかもしれないと期待されたのです。
実際、遺伝子解析によるALS研究は世界で始められていて、93年には家族性ALSはSOD1という遺伝子変異によって起きるとボストンのロバート・ブラウン博士らが発表し、遺伝子解析によるALS研究に大きな道筋をつけました。

───先生もSOD1の研究に取り組んだのですか。

いえ、私は、96年から米国ハーバード大学に研究員として留学し、SOD1とは別のALS原因遺伝子を探そうとしたのですが、約2年間頑張ったものの成果をあげられませんでした。 私がALSの研究で成果が出せたのは、米国から帰国し東北大学に戻ってから、ラットを用いてALSモデルの開発を手がけたことでした。

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